第9回 ソニー生命賞
ソニー生命賞 『僕の使命』
小松崎 潤さん(埼玉県)
六年前、初めて受けた人間ドックで脂質異症と指摘された。
その日から妻は人が変わったように僕の体調を気にしだした。
ランニングをすれば自転車でついて来るし、昼は弁当を持たせてくれた。日々肉と魚の順番を考え、野菜料理は必ずつける。
ざっと見ただけでも手間がかかっているのがわかった。しかしそのおかげで翌年の検査値は正常に。
自分でも体重や外食時のメニューに気をつけるようになり、今もいい状態をキープしている。しかし妻は自分が人間ドックを受けることには難色を示した。妻は僕より十歳年上。それでも受けない理由は「主婦だとお金もかかるし、子どももいて受ける暇がないから」だとか。不定休で給料も決して高いとは言えない僕もそんな妻の態度に強くは言えなかった。
しかし四年前、突然妻の友人が亡くなった。Tさんは近所に住む三十七歳。妻とはいわゆる「ママ友」だった。病名はスキルス胃癌。前年秋に腹部の痛みを訴え救急外来に駆け込んだのは知っていた。しかし精密検査では既に余命三ヶ月と宣告されていたという。
葬儀の日、僕は近所の公園で息子を遊ばせていた。するとたまたま息子の同級生に会った。恐らくお母様は葬儀に参列しているのだろう。その日はお父様と来ていた。顔を会わすとやはりTさんの話になり、そこで初めてTさんが健康診断を受けていなかったことを知った。妻と同じく経済的な理由だろうか。子育てで忙しく気が回らなかったのだろうか。何となく気になって彼に「奥さまは受けていますか」と聞いてみた。すると彼は頷き「死なれたら困るから」と言った。その言葉はあたかも「健診を受けないと死ぬ」と言っているように聞こえた。もちろん健診を受けないと全員が全員、命を落とすわけではない。しかし健診を受けていれば救える命があったのはTさんの無念の死からも明らかだ。僕は徐々に変な不安に襲われ、妻に人間ドックを勧めた。妻も快諾し翌週には初めての受診が叶った。
数週間後、勤務中に妻から電話があった。
「ねえ、どうしよう。精密検査だって」
電話の向こうの声は震えていた。人間ドックの結果、妻の左胸に微細な石灰化が見つかった。僕も気が動転し、その日慌てて半休をとって帰宅した。休んだってすぐに解決するわけではないが、傍にいないと妻が消えてしまうような気がした。
その二週間後、妻はステージ0期の非浸潤性乳管がんと宣告された。二人して頭は真っ白、目の前は真っ暗になった。それでも良い方だと医師は言った。非浸潤がんの段階を過ぎると乳がんは「しこり」として正体を現すため、もし発見が遅れていたら浸潤がんに進行していたのだ。
もし健診を受けていなかったら。進行がんの状態で発見されていたとしたら。そんなことを考えると僕も怖くなった。だけど定期的に健診を受けていたらと思うと自分が情けなくなった。
手術は 局所麻酔で乳管の中にある乳がんを取り除くものだった。リンパ手術とは異なり 運動障害やむくみなどの腕の後遺症は出ないという。それでも手術前夜、妻は不安で胃潰瘍になった。
あれから三年、妻の容態は安定している。そして毎年「ある時期」になると妻たちは人間ドックに向かう。今回は平成最後。僕は有休を取り、息子を含め三人の子守りをした。妻たちは健診後、Tさんの墓参りを済ませ帰宅した。幸い異常は見つからず彼女達は「ご主人、また来年もお願いします」と微笑む。僕もその笑顔にホッと肩をなでおろす。やはり健康が一番。「平」成と令「和」をつなぐ家族の「平和」は、すべてこの健診のおかげだと感じた。
人間ドック。それは人間だけに与えられた特権。考えてみれば「人の間」と書いて人間である。若くして亡くなったTさん。「死なれたら困るから」とぶっきらぼうに答えた友人。僕の健康をいつも気遣ってくれる妻。そんな人の間で気づかされることは多い。命の尊さ、健康の有り難み、家族の愛。
また来年もTさんの命日に有休を取る。それが人の間で生きる僕の使命だと思っている
受けてよかった人間ドック ~人間ドック体験記~
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