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第5回 ソニー生命賞

ソニー生命賞 『心も可視化できる人間ドック』

  高木 純子さん(愛知県)

 私は元々病院嫌いであり、できれば人間ドックも避けて通りたかった。だが家庭の主婦から勤めに出るのを機に人間ドックを受けることとなった。私は自分の体を自分で知ること、他人に知られることが大嫌いである。そしてもし異常が見つかったなら、その先辛いことが待っているだけだから知りたくはないとずっと考えていた。それは例えば子どもがテスト前に学校なんてなくなってしまえ、と思うのと同じくらい幼稚な発想であることはわかっているが、本当にそう思うのだから仕方がない。

 そしていよいよバリウムを飲む日が来た。息ができないくらい緊張していた。そしてバリウムを飲み、看護師から「ゲップは我慢してくださいね」と言われたにもかかわらず、飲んですぐにゲッとやってしまった。ますます逃げ出したくなった。別に痛くもかゆくもないのに怖がってしまう自分が情けなかった。

 検査結果が出て見つかったのは胃がん。やっぱり受けなきゃよかったという落胆や後悔などと、そんな軽い言葉では表現できない思いが私を支配した。自分では受け止められない重い課題を出された。これからどうなっていくのだろう。子どもたちはまだ小学生が2人もいる。上の2人は高校受験と大学受験を控えている。治療は?手術は?入院は?考えようにも頭の中は真っ白になってしまった。

 検査結果が出て落ち込んだ私は、それから何も食べられなくなり、これでは手術もできないというくらい、やせ細り貧血も進んで体力をなくした。でももう逃げられるはずもなく手術の日が決まり時間は過ぎて行った。子どもたちには胃がんとは告げられなかった。もう死ぬかもしれないということも言えなかった。手術をしなければ半年持たないと医師から言われたことなど言えるはずもなかった。

 医師は「落ち込まないでください。手術をすれば大丈夫ですから」と言ってくださったが、開いてみたらどうしようもなかったという話もよく聞くし、手術が失敗するってこともあるではないかと思っていた。

 入院する日は早朝から子どもたちの大好きな肉じゃがと煮豆を作り、「しばらく入院して留守にします。行ってくるね」と手紙を添えた。子どもたちは、いつもと変わらず登校し、夕方からは私のいない生活がしばらく続くのかと思ったら胸が熱くなり、涙がこぼれた。主人の車で病院に着くまで子どもたちの事ばかり考えていた。家の金庫にはこっそり遺書を入れてきた。「姉妹4人でずっと仲良く、パパを大事にしてね」と。

 今まで一度も家を空けたことがなかった私は、入院してからも主人と子どもたちの事が心配で、心配で仕方がなかった。多くの検査をしなければならなかったが、ベッドに横になると子どもたちは家で今ごろは何をしているかな?と気になった。

 そしていよいよ手術の日が来た。麻酔をかけられ、ストンと意識がなくなり、名前を呼ばれるまで深い深い眠りに落ちていた。目が覚めた瞬間「よかったです。リンパ節転移もないです」と肩をたたきながら医師はガッツポーズをしてくれた。私は少し微笑めたかなとかすかに覚えているけど、またうつらうつらした。

 それから13年が経ち、私は元気に生きている。退院してからは、辛い症状に弱気になったこともあったが、やり残したことをできるだけやろうとして以前よりも色々なことを精力的にやった。価値観も変わった。出会いも多くあった。入院中に子どもたちとしていた交換日記が今では宝物になっている。主人は毎日手作り弁当を子どもたちに持たせ夕飯も作ってくれていて料理の腕前がぐんと上がった。

 そしてあの時一番考えたのは自分がこの世の中から消えても、ただそれだけのことであるという事実だった。悲しむのは家族だけで、社会的には全く知られず一生を終わることの空しさをひしひしと感じた。だから手術の後は社会貢献をし、少しでも意味のある命にしたいと心から思い行動した。人間ドックを受けていなかったら私は今こうしてここにはいないかもしれない。その後見つけた多くの大切なものや、人との出会いもなかったかもしれない。そう思うと本当に受けてよかったと思う。

 人間ドックを受けて異常のなかった人も異常の見つかった人も、受けているときの不安から考えること、その結果から考えること、その大きさや貴重さは計り知れないものである。

人間ドックは身体だけでなく自分の心の内面も可視化できるのである。