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第2回 優秀作品賞

 優秀作品賞 『健康な時こそ人間ドック』 

岡見 亮さん(滋賀県)

 一九九四年二月一六日北京空港に単身降り立って私の中国生活が始まりました。昨秋、中国天津の合弁工場赴任を命じられ、工場の寮がある経済開発区まで約一五〇キロメートルをタクシーで向かいました。車窓からの夕景は灰色の絵の具で塗りつぶしたようなどんよりとした空と、荒涼とした大地がどこまでも続いていました。三時間ほどで寮に着きました。寮の窓からは塩田を整地しただけの砂地が暮色の中にどこまでも広がっていました。とんでもないところに来てしまった。これからどんな生活が待っているのだろうか、憂鬱な気持ちになりました。

現地の日本人は私ひとりで、会社は私のために通訳を付けてくれましたが、私生活では片言の中国語で過ごすしかありませんでした。元来無口な私は一日中話さなくても平気でしたが、何か伝えたいと思っても言葉が出てこないもどかしさははじめての経験でした。食事は当然中国食でしたが、好き嫌いのない私は日本食を恋しいと思ったことはなく、仕事上の会食でもアルコール度数の高い中国酒をよく飲んでいました。

その年の暮れ帰国し例年通り人間ドックを受診しました。中国に戻ってしばらくして妻のもとに結果が届きました。胃カメラを飲むようにと書いてあると電話してきました。そのときは胃潰瘍ぐらいにしか思っていませんでした。

翌年の夏、休暇で帰国して内視鏡検査を受けました。八月十五日朝から検査を受け、午後所要があって外出し、夕方帰宅しました。玄関のドアを開けた途端、妻から開口一番「お父さん胃ガンやで!」と告げられました。私の留守中病院から電話があり「検査の結果悪性腫瘍だから今すぐ入院するように」とのことで、妻はどのように本人に伝えればよいか尋ねました。「本人の性格を知らないのでわからない。早期なので切除すれば治る。正直に話してください」との返事。妻は随分迷ったそうです。翌日会社に報告しその脚で入院しました。私の中国勤務はこれで終わりました。

「どうしてこうなったのですか?毎日中華料理を食べていたからですか、強い酒を飲んでいたからですか、それともストレスが原因ですか」執刀医の先生に尋ねました。「そんなことわからん。わかったらノーベル賞もんや」といわれました。私は今でもストレスが原因ではなかったかと思っています。これまで毎年人間ドックを受診していました。一年前に受診した時は異常がなく、自覚症状もまったくありませんでした。健康には自信がありました。父や祖父を心臓病で亡くしていましたので、もし病気になるとすれば心臓病かなと漠然と思っていたくらいです。胃がんと告げられときは青天の霹靂でした。たった一年で急変するものなんだ。人間ドックを受けていてほんとうによかった。自覚症状が出てから検査を受けていたのでは手遅れだったかもしれない、と思うとぞっとします。健康な時から人間ドックを年中行事としてカレンダーに記入し、ごく当たり前のこととして受診していて、ほんとうによかったと思いました。

「これがそうだ」と医者が手術前の内視鏡検査のモニターで見せてくれたガンは、まるで阿蘇山のカルデラのようでした。たった一年でこんなに成長するものかと驚きました。六時間半の手術で胃の三分の二と胆嚢を切除しました。術後、妻の声で麻酔から覚めました。漆黒の闇に突然ぱっと明かりが射したようでした。寝覚めの感覚とは全く違っていました。まるで死から甦ったようでした。今でも鮮明に覚えています。八月二三日でした。私はこの日を再誕の日と決め、毎年気持ちを新たにしています。

世間では人間ドックは当てにならないとか、病気を指摘されるのが怖いとかいって受診しない人がいます。そういう人は、人間には健康人と病人の二種類しかいないと思っているのではないでしょうか。

検査結果の数値をみて正常値内なら健康、はみ出したら病気だなどと、単純に分けるのは迷いの源です。数値と自分の感覚は合わないので、今自分が健康か病気かわからないのは当然だと思います。人間はみな健康人と病人の間にいるもので、結果の数値に一喜一憂する必要はないと教えているように思います。

「生老病死」といいますが、私たちは生・老・病・死の四つの状態が時間の経過とともに順番にやって来るように思っていますが、検査数値は、人間とは生・老・病・死の四つを同時に携えて人生を歩んでいるのだと教えてくれているようにも思えます。

今年も夫婦でドックを受診しました。特に問題ありませんでした。一年間の生活スタイルが間違ってなかったと妻と二人で安堵しています。