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第6回 最優秀作品賞

 最優秀作品賞 『七月七日の人間ドック』

  室星 尚明さん(埼玉県)

私は3年前にサラリーマンを卒業しました。22歳で入社した勤務先で35歳から25年間、人間ドックの恩恵を受けて参りました。現役時代には感じなかった有難味を今は噛み締めています。 

20代、若さだけが取り柄の生意気盛りでした。社内の諸先輩を見ていると、煙草はスパスパ、酒はぐいぐい、マージャンは徹夜、という無頼派がトレンドでした。人間ドックの案内がくると、「前日は酒が飲めないの? そんなことできるかい!」彼らの決まり文句でした。受診しないことを誇り、無茶な生活習慣を格好良いものと考えたのでしょう。しかし、そんな方々も年齢を重ねると病魔に襲われたり、在職中に亡くなることも珍しくはなかったのです。私も毎晩、アルコール飲料が欠かせない口でした。ある時、胃の調子が悪くなりました。検査のレントゲン撮影で、どうしてもバリウムを飲み下すことができませんでした。そんなことで今後のドック受診は大丈夫なのか、と心配したものです。既婚でしたが、家族のための健康管理とは考えが及びませんでした。 

30代、妻帯者の私も子持ちになりました。35歳で初めて人間ドックを受診しました。周囲でも在職中の死亡者は少なくありません。私もやっとバリウムを飲み込めるようになりました。理由は唯一つ。子供のためです。扶養者の私が在職中に死ぬことなど許されません。健康管理のため、積極的に人間ドックを受診する姿勢が生まれたのです。 

40代、ある先輩社員の言葉を聞きました。所謂、団塊の世代に属する男性でした。奥さまと一緒に毎年、ドックに来ていたのです。お話しを伺うと、「ドックは夫婦二人のためでもある、と俺は思うんだ」と力説されました。会社では管理職になっていた私もこの言葉には心を動かされました。「夫婦二人、お互い元気でいようね。元気でいるから、二人揃って受診できるんだね」私でさえも、こんな気持ちを持ったことを今でも鮮明に覚えています。 

50代、私も妻と一緒に人間ドックに足を運ぶようになりました。年に一回のことです。まるで彦星と織姫が七夕に相会するようです。そんな理由で毎年、七月七日を受診日と決めました。仲の良い先輩夫婦を見習い、少しでも近づけるように真似をしたわけです。しかし、働き盛りの先輩も奥様を亡くされてしまいました。単身赴任のため、夫婦での受診が出来なくなって四年目のことでした。落ち込んで肩を落とした姿が今でも目に焼き付いています。ご本人も二年後に帰らぬ人となりました。夫婦が各自で受診したはず、と思いますが、私にはショックでした。 

サラリーマン最後のドックのことでした。臓器の超音波検査を受けていた際、隣のスペースで同じく受診の中年男性が検査担当の女性にぽつりと言いました。「私ね、去年、この検査で膵臓ガンが見つかったんだよ」私はベッドの上、カーテン越しにその言葉を聞きました。「そうか! そんなこともあるんだな」、と我がことのように感じました。その一ヶ月後のことです。便に潜血が見つかりました。25回のドック受診で初めてのことでした。落ち込みました。精密検査も受けました。悪性腫瘍がなかったことは幸いでした。会社員の義務である人間ドックでも、様々な受診者の人生模様が彩られていたはずです。

60代、勤務先で手配してくれる人間ドックはもう利用できません。自発的に受診するしかありません。費用も自己負担です。現役時代に浴した恩恵は計り知れないほど大きかった、と今になって思います。

還暦から3年が過ぎました。人間ドックの入門から28年が経過したわけです。サラリーマンに卒業はあっても、人間ドックに卒業はありません。諸先輩の病気、亡くなった方を見て、ドックの重要さが理解できました。「夫婦円満は健康があってこそ」、奥様と一緒に受診され、模範を示してくれた先輩もご夫婦でこの世を去りました。

これからも七夕の日、彦星の私は織姫の妻と一緒に人間ドックを受診します。二人揃って受診できることは、最高の幸せです。健康こそが円満の秘訣、その役割を人間ドックが果たしている、と固く信じているからです。