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第10回 最優秀作品賞

 最優秀作品賞 『命を繋ぐバトンリレー』の第一走者

  秋山 芳宏さん(北海道)

「肺腺癌です。」
目の前の呼吸器内科の医師はモニターを見ながら淡々とそう告げた。

「…。」
九割九分異常はないと高を括っていた私は、予想外の言葉に絶句し、「俺の人生は終わったのか。」と頭が一瞬にして凍りついた。

思い起こせば、人間ドックのレントゲン撮影で肺に小さな白い影を指摘されたのが1ケ月前。再検査の精密検査を受けていたが、私は楽観視していた。

なぜならば、私はマラソンが趣味で、フルマラソンは十回以上完走している。年に一度の人間ドックも二十年以上問題なく推移しており、健康体そのもの。しかもタバコは全く吸わないし、両親も祖父母も癌の系統ではない。つまり癌になる理由がない。

それがまさかの結末。「肺がんって嘘だろう。何て運が悪いのだ。」医師の説明を聞きながら、先の見えない不安とやり場のない怒りが混然となって、絶望の奈落につき落とされた。

癌の告知を受けたのが単身赴任先の病院であったため、自宅のある街の総合病院で、すぐ肺の一部を摘出する手術をし、入院。その後肺にあった癌は少し拡散していたため抗がん剤治療に移行した。さらに体調が悪化したため単身赴任を急遽解消し、自宅のある事務所に転勤となるなど、目まぐるしく半年が過ぎた。その間も感情のジェットコースターは放物線を描くように希望の光で上昇したり、不安と葛藤で下降したりと迷走を続けた。

そして何とか二年経ち、三年経ち、最近はようやく精神的に落ち着きつつある。しかし病の寛解を迎えたわけではなく、今は悪性細胞たちが再び暴れ出さないよう、「とにかく大人しくしていてくれ」と祈る日々である。

癌の罹患により、死が身近なものとなった。「どのように生きるか」が最大の命題となり哲学的思索に耽ることもしばしば。その一方で、精神的にケアをするがん相談センターの相談員や病棟の看護師さん、呼吸器外科の医師、会社の産業医らとの出会いやそこでの会話を通じて、また健康や医療、生と死について書かれた著書や、ブログの闘病記などに触れ、そこから実に多くのことを学んだ。

ひとつは、癌になった私は運が悪かったわけではなく、「運が良かった」ことだ。なぜならば、人間ドックで癌が見つかっていなければ、それは確実に進行し、手遅れになっていた可能性があるから。運が良かったと思えるのは、人間ドックのおかげなのである。

ふたつ目は、生活改善につながったこと。運動しているから健康だと過信し、毎日のように塩辛いつまみをビールで流し込む晩酌を楽しんでいた。不摂生な習慣が、根拠は無いが何らかの形で肺に大きな負担をかけていた。その気付きと反省を元に今は酒をキッパリと辞め、食事もゆっくり咀嚼して味わうなど、食生活の大改革を敢行した。

三つ目は、黙々と自分のために働く臓器たちに感謝するようになった。それは、がん相談センターの女性が言った、「毎日確実に心臓や胃腸が動いているからこそ、今のあなたの存在があるのですよ。」の言葉。それを聞いた瞬間、私はハンマーで頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。そうだった。何の見返りもなく五十年以上健気に働く臓器たちに対し、私は何の感謝もしてこなかった。これを機に朝起きた時、「今日も心臓が動いてくれてありがとう」と感謝できるようになった。

このように人間ドックから始まった闘病生活の苦しみは、多くの関係者との交流や示唆に富んだアドバイス、思惑を重ねた自らの気付きにより、ポジティブな感情ヘと変化していった。

人間ドックの検査、その後の精密検査、手術、入院体制、薬や放射線治療、精神的ケアなど、医療全体を俯瞰して見ると、今の医療技術は本当に凄いと思う。江戸時代に生きていれば、私はあっという間に天界に召されていたであろう。そういう意味では、医療は人類が産み出した最大の発明だとも言える。

そしてその一翼を担う人間ドックは、哲学的に言えば、「日々黙々と働く臓器たちとの対話を通じて、その悲鳴を真摯に聴くこと」だと思う。そして仮に生命を脅かす問題に直面すれば、その後は多くの医療関係者の尽力による、「命を繋ぐバトンリレー」が強カかつスムーズに展開される。私はその一連のリレー対応のおかげで、今もこうして生かさせていただいているのだと改めて感じている。

人間ドックは、この「命を繋ぐバトンリレー」のいわゆる第一走者。欲を言えば、第一走者で完走することが理想だが、その後を走る走者のセーフティネットも視野に入れながら、人間ドックを「受けることで安心し」、「受けることで気付き、改善し」、「受けることで肉体や臓器に感謝する」。それらをこれからも愚直に続けていきたいと思う。