ホーム>受けてよかった人間ドック ~人間ドック体験記~>第8回 人間ドック体験記コンクール 最優秀作品賞

第8回 人間ドック体験記コンクール 最優秀作品賞

 最優秀作品賞 『友が遺したメッセージ』

  小澤 勝彦さん(神奈川県)

もう二十年以上前のことになる。
友人のTが西武新宿線の郊外駅からワザワザ、新宿の喫茶店まで来てくれた。
Tは念願の海外勤務を大腸ガンのために、半ばで断念して帰国、自宅で療養中だった。
国は異なるが、入れ違いに海外赴任が決まった私に、是非海外勤務の心得などを伝えたいと、彼の方から声をかけてくれた。
海外事務所の運営の要点や対外折衝のコツなど熱心に話してくれた。
大半が仕事のことで、自分の病気のことには、あまり触れなかった。現実から、逃げていたのではない。

「すぐ直して、復帰するから・・・」 彼らしい強い意志が感じられた。

ただ、「海外赴任中の健診結果は、迅速に対処しろよ」との助言はくれた。彼は、赴任地の健診で便潜血陽性判定を受けながら、現地医師の判断で経過観察としたため、対応が遅れたのだ。

それから十年ほどが経ち、私は三度目の海外勤務で忙しい日々を過ごしていた。
二年ほどがたち、やっと休暇一時帰国がかなった。久し振りの日本の自宅でノンビリ過ごしていたある日、会社の健康管理室から、電話を受けた。
出頭を求められ、社内の看護師さんから、

「多分、大丈夫だと思いますが、人間ドックの便潜血反応が陽性です。こちらにいる内に、大腸の内視鏡検査を受けてください」

と指示され、その場で手際よく検査の手配がされた。
その段階では、折角の休暇中に面倒だなという程度で、深刻には受け止めていなかった。
とはいえ、Tのことが、少し脳裏をかすめた。  

Tは、その後入退院を繰り返す闘病生活の末、サラリーマンとして最も輝くべき時に、妻子を残して亡くなっていた。

その後の展開は早かった。初めて訪れた街の、内視鏡専門医院。内視鏡検査の結果は、悪性の可能性あり。
直ぐに、別の病院で、内視鏡で組織検査。悪性とのこと。開腹手術と内視鏡下手術の違いなどの説明を受ける。
ここまで、あまりに慌ただしかったせいか、現地事務所での仕事のことなどが気になるだけで、従来予想していた『ガン宣告』にうろたえるような感覚はなかった。
その病院で再度、内視鏡で病変部位を確認。内視鏡が体内に入ったままの状態で、「腫瘍の根元を浮かせることで、切除可能」との説明を聞く。
そのまま、無事腫瘍を切除。開腹なしの内視鏡下手術のため、手術後そのまま帰宅。何事もなかったかのように、日常生活に戻った。

予定を一週間だけのばし、現地事務所に帰任となった。
手術までは、不思議と恐怖を感じるとか、人生を思うというようなことはなかった。
帰りのフライトの窓から見える雲海を眺めたとき、ようやく
「あー、俺は生きているんだなー」
と、まさに、宙を浮く不安定な感覚とともに、安堵に続く爽快感を感じた。
『生きている』ことを実感した瞬間だった。

そして、その時、浮かんだのはやはり「よかったな」と言っているTの笑顔だった。

若いころは、健康診断の結果など気にしたことはなかった。
事実、健診の結果を、「血液型がBである以外、みんなAだ」といつも冗談をいえる状態だった。
それから、熟年にさしかかるとCやらD評価の項目が増えてくる。
それでも、自覚症状がない限り、D項目の多さが自慢の種になるくらいだった。
しかし、ガンの経験はさすがの私も応えた。その後、人間ドックでは胃と腸の内視鏡検査を必ず受けている。
それだけではない。メタボ系の数値にも敏感になって、D項目は必ず精密検査を受けるようにしている。 

自覚症状はなくても、血液の状態によって「ある日突然」という危険が、脳や心臓を襲うことも勉強した。

何十年もかかったが、私もやっと人間ドックの正しい利活用法を身に着けたようだ。
と、言っても先生の栄養指導をキチンと守らないので中性脂肪の値は一向に下がらない。
精密検査で再チェックすることで、一安心しがちだが、そこから節制することがポイント。
受診後のケアーはやはり、自己責任だ。まだまだ長い人生、自分の健康は自分で管理することを改めて肝に銘じた。

同期たちが集まるTの命日月の「偲ぶ会」は、今も続いている。
毎年、彼の妻子を囲んで楽しい懇親の場となっている。
いつの頃からか、子供たちはお酒も付き合えるようになった。
ご子息と二人のお嬢さんも今では立派な社会人になっている。お嬢様には子供もできた。
Tの孫が「偲ぶ会」のメンバーになるのもそう遠くないのかもしれない。