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第7回 優秀作品賞

 優秀作品賞 『ハルさんの決めぜりふ』

  西崎 良子さん(岡山県)

 ゴミ収集日の朝、ゴミ置き場の前で背後から声がした。

「あんた、もう健診に行ったんかな」

振り返ると、村姑のおせっかいハルさんがいた。捕まったら最後、言い逃れることは出来ない。

「いえ、まだ…」と、言い終わらぬうちに、
「何をぐずぐずしとるんじゃ、早う行って来んさい」。
「は、はい」

 年輩のハルさんに叱咤されると、「はい」としか言えません。私は、その日のうちに、人間ドック健診センターに電話して、予約を取り付けた。

 市街地から遠く、農家の多いこの村は、健診とはあまり縁のない環境でした。私も、以前受けた人間ドック健診は、パートで働いていた十数年も前のことで、以来、一度も受けてはいませんでした。しかし今は、村姑ハルさんのおかげで、毎年、人間ドック健診を欠かすことはありません。

 ハルばあさんのうるさい姑口に、村の人達が皆素直に従うのには訳がありました。

 ハルさんが、県北の寒村からこの村に嫁に来る数年前に、彼女の両親は相次いでガンで他界し、残るたった一人の姉も、手遅れから乳ガンが肺に転移し、若くして亡くなったそうです。

 1人ぼっちになったハルさんは、親戚の家から、縁あってこの村に嫁いで来たのです。子供も授かり、幸せな暮らしでしたが、両親と姉の死は片時も頭を離れることはなく、「ガン」の二文字は、決して消し去ることは出来なかったそうです。

 守るべき家族も出来た彼女は、健康管理には人一倍気を配り、一年一度の健康診断も欠かすことはなかった。

 ガン検診などという言葉すら、まだ一般的ではなかった時代に、一日がかりで、遠い町の病院へ出かけて行くのは、容易なことではなかったでしょう。

 早朝、始発のバスに乗るために、バス停までの三キロの道程を急ぐハルさんを見て、「なんと暇人なことよなあ」「なんと結構なご身分ですことよなあ」と、村の口さがない人達は陰口をたたいた。何と言われようと、意志を貫いてきたハルさんを支えたものは、亡き両親と姉から託された、死んではならぬという、強い思いだったのです。

 ハルさんに異変がおきたのは、還暦も過ぎ穏やかな老後を送っていた頃。

 その年の人間ドック健診で、乳ガン要再検査の結果が届いたのだった。ハルさんは、驚きも、うろたえもしなかった。

「来るものが来たか」と、精密検査に臨んだのでした。

「ガンを迎え撃つ心の準備は、ずっと前から出来ていた」と。

精密検査の結果は、ごく初期段階の乳ガンと診断され、直ちに手術を受けた。その後、ホルモン剤治療が数年続き、節目と言われる五年も無事乗り越えた。

「もう薬も、飲まんでもええようになったんじゃよ」

 村の人達に誇らしげに話すハルさんは、ガンを克服した喜びと自信に満ちあふれていた。

「こうやって皆と笑うておられるのも、早うにガンを見つけたからじゃ。いや、見つけてもろうたからじゃ」

 ハルさんの熱弁を、皆うなずきながら聞いていた。

「はじめは痛うも痒うもないから気がつかんのじゃ。気が付かんままおったら、今こうやって笑うてもおられんかったろうに」。まだ続いた。

「何ともない内に見つけにゃおえんぞな、早期発見じゃよ、早期発見、早期治療じゃよ」。ハルさんのいつもの決めぜりふに、皆もつられて大いに笑った。

彼女の貴重な体験があったからこそ、村姑おせっかいハルさんの誕生となったのです。説得力のあるハルさんの言葉には、自身が、ガンを克服したという確かな事実があり、「この村からは、手遅れで死ぬ人を一人も出さない」という強い思いがありました。

 若い日に、両親と姉をガンで失い、そして我身もガンに。しかしハルさんは、決して運命だから仕方がない、であきらめる人ではなかった。人を苦しめる病に、真っ向から戦いを挑んでいるのです。「早期発見」という、伝家の宝刀を引っさげて、「どこからでもかかって来い」と立ち向かっているのです。

 「健診に行ったんかな、みんな行かんとおえんよ――」。

 今日も、ハルさんが村中を走っている足音が聞こえる。