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第10回 健保連賞

健保連賞 『あれから、ふたり』

  山尾 裕子さん(岡山府)

『いま集中治療室からこっそりメールしています。意識が戻らなくて大変だったみたい』

友人からの最後のメールには、まるでペコちゃんが舌をぺろっと出して笑っているかのような顔文字が添えられていた。だからわたしも軽口で返した。

『バッカじゃないの? てへ、じゃないよ。とにかく、一般病棟に戻ったら電話して!』

夜が明けたら。薄味の朝ご飯を食べたら。主治医から厳しくお小言をもらったら。午後になって散歩ができるようになったら。たら。たら。たら…。そうしたら、必ず電話して。

けれど、わたしの携帯が鳴ることはなかった。メールを何度送っても、返事が返ってくることはなかった。送信ボタンを押すたびに、心臓が鷲づかみされたかのように痛くなる。エラーになったらどうしよう。届かなくなったらどうしよう。何度も電話した。心配だから折り返してと、何度も何度もメッセージを残した。そして二週間が過ぎるころ、とうとう電源すら入らなくなった。心筋梗塞だった。

彼に不整脈があるのは知っていた。標準体重をはるかに上回る、誰の目にもメタボ体型だったけれど、プールで泳いだり釣りをしに外海に出たりとアクティブに過ごしていたので、ちょっと痩せれば治るんでしょ?という程度の認識しかなかった。

彼は誰もが知っている大きな企業に勤めていた。企業風土として健康意識が高く、もちろん彼も毎年欠かさず人間ドックを受けていた。わたしたちはお互いの健診結果をつきあわせて報告しあうようなことはしなかったけれど、最低でも年に一回は自分の身体と向き合う機会をもっていることで、健康のお墨付きをもらったような気になっていた。まだ三十代だしさ。まだ若いしね。平気、平気。死ぬわけじゃあるまいし、と。

大事なのは人間ドックを受けた後だったのだと、今なら思える。大切な友人を亡くしてからしか気づけない馬鹿ものだ。

友人は恐らく様々な検査項目でひっかかり、精密検査を受けるように、あるいは治療を始めるようにと、勤務先や健康保険組合から強く言われていたのだと思う。それを先延ばし先延ばしにして何年も過ごしてきたのだろう。そんなに悪いなんてわたしも聞いたことがなかった。忙しい仕事の合間を縫って好きな料理をしたりお酒を飲んだりしていた姿を思い出すけれど、それらすべてが悪だったとは思わない。そうしてプライベートを楽しみながら、平日には仕事に集中していたに違いないから。

働き盛りと言われる年代は、ただ仕事をしているだけではなく、様々な顔や役割を担わなければならない。職場では責任のある役職につくことが増え、子どもがいれば学校の役員を担い、週末は地域の活動に駆りだされ、起きられないほどの高熱が出ない限り自分のことは後回しにせざるを得ない。たまの休みに息抜きをして、具合が悪くなったら病院に行こうと健診結果をちらりと思い出し、そうしてわたしの友人のように手遅れになってしまう…。

亡くなったいまでも、思いがけず嬉しいことがあったような時には、話を聞いてほしくて真っ先に彼の顔が浮かぶ。どうしても上を向けない苦しい時も、彼だったらひょいと気持ちをすくい上げてくれるのにな。ああ、話がしたいなぁ。あんなに急にわたしの人生からいなくなるなんて思わなかったよ。

あれから数年が経ち、人間ドックの結果を見るのに勇気が必要な年代になった。脂質異常に関しては注意して推移を見守る必要が出てきたし、前回に至っては便潜血検査で陽性となった。普段ほとんど病院にかからないため、自宅に近い大腸の内視鏡検査ができる専門機関を教えてほしいと電話をしたら、健康保険組合の保健師さんがものすごく喜んでくれた。

「怖いからと精密検査を先延ばしにする人が多いんですよ。また来年ひっかかったら考えようって、一年、見なかったことにしちゃうんです。あなたみたいに病院を紹介してくれと言って電話してきてくれる人はほとんどいないんですよ、嬉しいです。ありがとう」

なんとお礼まで言われてしまった。こちらこそ、不安がなくなりました、ありがとう。

わたしはきっと死ぬ間際まで友人のことを思い出すだろう。わたしが生きている間はいっぱい思い出すからね。あなたが同じ時代に生きていたことを、なかったことになんかしないからねと勝手に思っている。そのうち心の中での友人への報告は、健診結果に関する不安や愚痴が増えていくことだろう。これちょっと、なにかの間違いじゃないかな、なんて冗談めかして。けれどわたしが人間ドックをさぼることは絶対にない。どんなにたくさんの項目でひっかかろうとも、治療してふたり分、長生きするのだから。