ホーム>受けてよかった人間ドック ~人間ドック体験記~>第8回 優秀作品賞

第8回 優秀作品賞

 優秀作品賞 『姉と二人で』

  生越 寛子さん(大阪府)

私には一つ年上の姉がいる。
私と姉はいつも人間ドックの予約をする前に互いに予約を入れあうのだ。
それは、互いの子どもたちの面倒を人間ドックの日に引き受けるようにしているから。
その一年に一度のイベントは子どもたちにも浸透していき、今では親族周知の行事である。

私と姉は母を54歳で亡くした。
母が倒れ救急車で運ばれたときには、すでに末期がんで余命3か月という辛い現実が待っていた。
未婚であった私たち姉妹は母に何かをしてあげたかった。
花嫁姿を見せてあげたかった。孫を抱かせてあげたかった。
色んなことをしてあげたかったのに、何もできなかった。
孝行をする前に母は旅立ってしまった。

母を亡くしてから、私たち二人の心にはぽっかりと穴が空いてしまった。
女同士仲が良く、よく旅行にも行った。よく笑いあった。
でも母の体調が悪い様子でも、私たちは無理に病院に連れて行ったり、人間ドックに連れて行くことをしなかった。
過去に戻れるのならば、どんなことでもするだろう。二人で心の穴を埋めるようにそんな話をした。
そして私たちはもうこんな思いをしないよう二人で毎年人間ドックに行こうと約束をした。
母だって、きっと早期発見していれば違う結果になっていたと思う。

その後、互いに結婚をし、出産をした。
それでも私たちの約束は毎年キッチリと守られた。

「今年はどうする?赤ちゃん見ててあげるから、一日ずらして予約するのはどう?」
「いい考えだね」
「今年はどうする?一日預かりに子どもを預けていくから、人間ドックの後に母のお墓参りへ行くのはどう?」
毎年、二人の中の楽しい行事のように人間ドックがやってくる。

それでも、ある時辛い現実が押し寄せてくる。
「ねえ、私、要検査になった」

姉が子宮頚部の異常で要検査になった。
私は「きっと早期発見だから早く病院で検査しておいで。子どもたちは大丈夫。私に任せて」

いつも何も異常のなかった検診結果を母の仏壇にお供えしていたのに、その年はまたしても辛い現実がやってきた。
姉は検査を受け、子宮頸がん手術を受けた。結果は早期発見のため予後も順調だ。
手術の後、私は姉の手を握りながら

「人間ドックのおかげで私はお姉ちゃんを失わずにすんだよ」

と涙を流した。
姉は優しく微笑んで「そうだね」と柔らかに私の手を握り返した。

それからも人間ドックはより身近に私たちの行事となっている。
最近では子どもたちも「来年の人間ドックはいつにするの?いとこと遊べるから嬉しい日なんだよね」と言ってくれる。

そして、私にもある異常を知らせる検査結果が届いた。
(マンモグラフィにて非対称陰影あり。要検査)
その結果を見たとき、私の心臓は爆発しそうなほど早鐘を打った。
咄嗟に「ケイタイ!」何か考える前に姉に電話をかけた。

「早期発見なんだからきっと大丈夫。子どもたちのことは私が見るから、大丈夫だから」

あの日、私が姉に言った言葉と同じ言葉だったかもしれない。
紙を握りしめ泣きながら電話をしていた私に姉の言葉がすっと沁みこんだ。
姉の温かな声で私は爆発しかけていた不安を少し押し込めることができた。
姉はあの時もっと辛かっただろう。
不安もきっともっと何倍もあっただろう。
でも心を強く持ち、病気に打ち勝った。
私は姉の言葉に背中を押してもらい検査に向かった。
マンモグラフィの結果はのう胞が乳房にあるということで乳がんではなかった。
ホッとしながらもたった一人では、検査結果にうろたえるばかりであっただろうと思う。

病気の芽は年とともに身近になってくるのかもしれない。
しかし家族が、姉が、支えてくれると思うと病気にも打ち勝てるように思えた。

私たち姉妹はその後もずっと一緒に人間ドックを受け続けている。

母の仏壇には毎年新しい検診結果が仲良く並べられ、無事の便りはきっと天国にも届いていると思っている。