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第9回 最優秀作品賞

 最優秀作品賞 『夫婦で仲良く受診』

  鴻巣 信子さん(神奈川県)

私には大切にしている習慣が二つある。

一つは、毎年人間ドックを夫婦一緒に受けること。
二つ目が、家族の外出時には玄関に出てそのうしろ姿を見送ることである。駅に向かって角を曲がるとき、私が見守っていることを知っている家族は、振り返って手を振ってくれる。私も精一杯振り返す。今日一日の無事を祈って。

私の父は25年前、私たち家族が英国滞在中にあっけなく逝ってしまった。脳出血だった。亡くなる直前の国際電話では、「風邪も引いていない。」と言い、孫たちに会いに夏にはこちらに来る予定だった。こんなことなら日本を発つ時、空港でもっとちゃんとお別れをするべきであった。この時の苦い経験が私を日々、見送りに駆り立てるのである。

私の人間ドック体験は26年前、父が亡くなる前年、夫の英国赴任に同行するため会社からの要請で、家族健診として受けたのが最初である。二年後に帰国してからは毎年受診し、一昨年からは、私も夫と同じ人間ドックコースを受診している。

初めは夫婦別々に健診を受けていた。私の生活習慣病関連の値は年々上がり続け、『乳房の乳腺嚢胞』などの結果が出たが、『経過観察』なのをいいことに、また、子育ての忙しさを言い訳にして他の健診結果をも深く省みることなく、15年あまりが過ぎた。当初、健診場所は会社指定の一か所のみであったが、その後、選択肢が広がり自宅近くの病院でも人間ドックが受けられることとなった。そこで、私は近場の健診施設へとつい浮気をしてしまった。しかし、そこでは医師の所見欄などでもっと厳しい言葉を突き付けられ、私はすっかり落ち込んだ。

「もう、来年から人間ドックは受診しない。」と、弱音を吐く私のため、夫は自分の人間ドックと私の家族健診日を同じにしてもらうよう、会社の健康保険組合にお願いしてくれた。以来、私も気を取り直し、もとの健診センターで夫婦仲良く受診するようになった。

「鴻巣さーん。」と呼ばれて、私が診察室の中へ入ると、

「あれ?さっき男の人が受診されてましたけど?」と問い返され、

「それは夫です。夫婦で受診しています。」と言えるのが、今ではちょっぴり誇らしい。

無事健診が終わると、新宿あたりへ出てゆっくりお店を選び、遅いランチをとる。話題はもっぱらその日受けた健診のことで、お互い我先にと報告し合った後、相手の数値などを分析し、なぐさめ合う。こんなことが10年近く続いた昨年の11月、大安の日に受けたドック健診でとてもいいことが起こった。夫の脂肪肝が消え、上がり続けていた私のLDL-C値も下がり始めたのだ。 

実は、二人とも一昨年の健診結果が悪すぎて、私は遂にメタボ関連薬の処方を勧められてしまった。そこで、夫婦で協力し合い、一年間、本気で食生活の改善に取り組み、私は苦手だった運動のためジム通いを始めた。夫も会社の昼休みにウォーキングに励んだ。一緒に出掛けた時は、どちらかがエスカレーターに乗ろうとしても、もう片方が階段なのを見るや、引き返してその階段を駆け上がってみせた。ご飯のおかわりも相手の顔色をうかがいながら箸を置いた。

こうして勝ち取った良い値は、同い年夫婦の私達にとって何よりの還暦祝いとなった。二人がこのように頑張ることができたのは、健診後の『生活習慣病に関するワンポイントアドバイス』のおかげだった。アドバイスは、その日計測された自分の値に基づいてなされ、厳しくも温かく、二人の心に響いた。

私の父が63歳の若さで旅立ってしまった頃は、まだ人間ドックが一般に普及しているとは言えなかった。父は自分の血液型さえもよく把握せず、「俺のはE型だ。」と豪語していた。たばこは絶対に止めなかったし、「一日が24時間では足りない。」と夜更かしをしていた。健診をまめに受けるなど、自分の健康に対して積極的だったならば、もっと長生きすることができたのではないだろうか。

人生100年時代となった今、『多様な健康状態の人が共生する社会』あるいは『未病社会』といわれる中で生き抜くためには、人間ドックをきちんと受け続けるという視点が欠かせない。このたび、私は継続して自分の値を観察し、適切に対処することの素晴らしさを実感した。また、一人で受けるよりも二人で励まし合った方がより効果的であることもわかった。健康寿命は、人間ドックを受けることで延ばすことができるのだ。私たちは、ドックを中心とした大勢の医療関係の方々に見守られている。

今年も『夫婦で一緒のドック日』を決める日がやってくる。安全安心で活き活きと生きていくために。ドック終了後のランチはどこに行こうか。